ピチェ・クランチェンと3人のドラマトゥルク
第三部 「ラーマ王の未来への旅路」

第一部、第二部とそれぞれハウニェン、フクエンとピチェのこれまでの制作が解き明かされてきた。本セッションでは中島那奈子がダンスドラマトゥルクとして現在進行形でかかわるピチェの新作《ラーマの家》を題材に、ダンサーの師弟関係、力関係をめぐって話し合われた。

《ラーマの家》と「権力の譲渡」

《ラーマの家》は、ピチェに加え、台湾の振付家・ダンサーであるウーカン・チェンの共同プロジェクトである。はじまりは、2017年から2018年にかけてラーマーヤナの化身を探す旅に出た二人の対談である。二人はインドネシア、ミャンマー、カンボジア、タイに出かけ、四人の伝統舞踊の師匠サルドノ・W・クスモ(インドネシア)、シュエ・マン・ウィン・マウン(ミャンマー)、ソフィリン・チアム・シャピロ(カンボジア)、チュラチャール・アラヤナー(タイ)に出会う。その成果として2018年に二人は《Behalf》という作品を作る。それが発展し、出会った四人の師匠も出演する《ラーマの家》のプロジェクトに結びついた。

これまで2回発表の機会があった。2019年5月には台湾〔ここから中島那奈子が参加〕、2020年1月にはバンコクでリハーサルと展示・ショーイングが行われた。台湾では、四人の師匠から伝授された踊りを二人が発表するショーイングに加え、師匠を訪ねて旅をする途中で集めた写真、衣装、仮面などが展示された。2020年のバンコクでは、四人の師匠が集合し、ピチェ、ウーカン、中島チームとともにワークショップを行った。

そのリハーサルを映像で振り返りつつ中島は、ピチェに「力の譲渡(transmission of power)」について問いを投げかける。「力の譲渡」というキーワードはリハーサル中しばしば使われていた言葉であり、《ラーマの家》の一つのテーマ「師弟関係を覆す、力の譲渡」と関係する。中島は、師弟関係と振付家ダンサーの力関係が似ていることを挙げつつ、この力関係を《ラーマの家》は強く想起させ、しかもそれを超えていく力を秘めていると話す。すなわち、師弟関係、振付家ダンサーの力関係を問題とすることで、集団でのドラマトゥルギーへとつながっていくのではないかと。この質問にピチェは以下のように回答する。

ピチェ「ラーマの家のプロジェクトの根幹にあるコンセプトとして、師匠、そして振付家の力というものがあります。この〔師匠、振付家〕というふたつの力はどのように異なるのでしょうか。またわたしが〔このリハーサルで〕振付家ではなく〔師匠から踊りを習う〕弟子となることで、これらの力はどう変容し、ないし調停されるのでしょうか。というのも、この作品を作り始めるということは、〔師匠から踊りを習うという作品なのだから〕、弟子にならなければならないということを意味します。弟子になるからこそ、師匠は舞踊言語の基本的なトレーニングを授けてくれるのです。〔このプロジェクトのなかで〕わたしは弟子になったのです。自分にとって面白いのは、例えば50歳くらいになったとしても、挑戦したいと思うような師匠を持ち続けることです。このプロジェクトでわたしは振付家としての力を放棄したのです。これは、わたしが自分のカンパニーでダンサーたちと制作をしているときとは全く異なります。カンパニーで仕事をするときは、わたしは振付のアイデアをダンサーたちと共有します、そしてそのアイデアについて、ダンサーはYesと言うこともNoと言うこともできますし、彼らのアイデアを共有することもできます。わたしのダンスカンパニーでは、朝9時から16時までやりましょうといったとき、16時になったらダンサーたちは逃げ去っていいのですね。ただ師匠と接しているときはそういうわけにはいきません。師匠は時間なんて気にしないですから。一つ例を挙げようと思います。サルドノ師匠と学んでいたときですが、師匠はいつもわたしを外に連れ出すのです、観光みたいに。ある日、雨が降っていました、土砂降りの雨です。それでスタジオにとどまって、即興し始めたら、師匠はすごく面白がり始めて、自分の携帯で突然撮影を始めたのです。彼はもう雨も時間も気にしなくなっていました。その瞬間を楽しんでいたのです。」

中島「それは面白いですね、師匠であるサルドノ氏が、師匠としての力を放棄したかのような瞬間ですね。彼はその瞬間をエンジョイして、まるで弟子に対して友達でいるかのように接していたのですね。ピチェの話を聞いていて面白いと思うのは、伝統舞踊の日本舞踊でも、振付の権利というのは家元だけが持てた時期が長い間続いていて、振り付けるというのは、一つの権力なのだなという風に改めて考えていました。」

《ラーマの家》とダンスドラマトゥルクとしての中島那奈子

ここで次の質問が投げかけられた。師弟関係には年齢という要素があるが、40代から70代が関わっているこのプロジェクトに途中から参加した中島那奈子はほぼ最年少であり、かつ女性である。この中島の他者としての存在は、ピチェの創作過程にどのような影響を与えたのか。言い換えれば、他者性、つまり、違和感、違う人が来た、こうしたことがグループの力学にどのような影響を与えたのか。

これを受けてピチェは、これまで関わったドラマトゥルクのハウニェンとフクエンが、東南アジア出身で、ラーマーヤナについても、ピチェのバックグラウンドについてもよく知っているとまず答える。しかし、ピチェはラーマーヤナについても自身のバックグラウンドもあまり知らない、空っぽの状態で来てくれる全く異なるタイプのドラマトゥルクを求め、中島に依頼した。中島のドラマトゥルクのフィードバックについてピチェは、フィードバックというのは会話や情報だけではない、沈黙も含むと言いながら、ドラマトゥルクが沈黙に徹していると、振付家は逆に力を与えられるとコメントする。

聴衆の中にいたハウニェンはこのやりとりに興味を持ち、ドラマトゥルクとアーティストのコラボレーションにおいては、本来スムーズに話を運ばなくてはならないが、色々な要素を持った人々が集うと、どうしても色々な意見が出てくるが、今回の《ラーマの家》のプロジェクトにおいて、三人の関係性はどのようなものであったのかという質問をピチェと中島に投げかけた。それに対して中島は、プロジェクトに参加していたとき、ピチェとウーカンの関係性はすでに確立し、それぞれの美学も定まっていた。したがって、ディスカッションのなかにすぐ入っていくというよりは、まず後ろに控えるというスタンスをとり、フィードバックは現場ではなく、少し時間をとってから伝えるというスタイルをとっていたと回答。一方ピチェは、中島が参加し始めた時、自分は制作過程で小さいことをスキップしてしまい、真剣に捉えられていないことを問題視していた。だから、もう一つの目からきちんと見てもらいたいと思っていた。バンコクでは、中島はみんなから非常に遠く離れたところに座り、全員を見ていた。台湾では、いつ来てどこにいたのかわからないくらい遠くから全てを見ていた。近づいて伝えるのではなく、できるだけ遠くから起こることを全て見てくれていて、まさに求めていたスタイルだったと回答。これらの回答を受けて、ハウニェンは、ドラマトゥルクとはまず見えない存在であることが重視されると発言。中島は、Invisible/目に見えないことを特に気にかけているわけではないが、劇場の構造やダンスを見る構造が作品の根幹にかかわることもあり、少し後ろに下がるというのは確かに自分の一つの方法であると認める。中島は自分もWSに参加してダンサーと一緒に体を動かしてしまうと、ダンスを見るというドラマトゥルクの仕事―それは目だけでなく全身をもって見るという行為なのだが―を忘れてしまうという。

《ラーマの家》の動き

ここで次の問い、四人の師匠が伝授する伝統舞踊の動きのパターンをピチェとウーカンはどこまで変化させたのか、また変化させ得たのか、また師匠の介在でピチェとウーカンの動きは変化したのかという問いが投げかけられた。

ピチェはまず師匠を選んだ理由を説明する。ソフィリン師匠は非常に厳格に伝統的な動きを重んじ、伝統というものに最も近い。タイのチュラチャール師匠は教える技術を持っていて、教育的。ミャンマーのウィン師匠は、米国に長く住んでいるため考え方が西洋的で、振付を変えないということを重んじる。一方サルドノ師匠のパートでは、より自由で、弟子にはコンセプトやアイデアを提供し、時間を与えるというスタイルで、ピチェとウーカンは新しい解釈を加えたり、身体の動き、テクニックを取り入れたりした。ソフィリン師匠のパートは難しく、どうしても振付を忘れてしまうが、即興は許されていなかった。

ピチェとウーカンは師匠のオリジナルの動きをフォローし、模倣するなかで、何を自分たちは非常に恐れ、心配しているのか、また恐れさせる権力の根源は文化なのか、師匠なのか、振付なのかという問いを持った。同時に、師匠たちの動きをなるべく変えないようにするプロセスは、自身が10代半ばで伝統舞踊を身につけ始めた初日の身体感覚を想起させた。それについて中島は、「自分の中にあるものをもう一度取り出す、自分の伝統をもう一度自分で見て学び直す」プロセスとコメントした。

女性の型

ピチェは最も難しい動きとしてソフィリン師匠の動きを挙げる。身体を開くポーズに慣れているピチェとウーカンにとって、女性の小さく身体を屈め内向きに閉じる型が難しかったからである。アジアの舞踊、日本の舞踊は舞踊劇であるため、キャラクターを踊るという構造があり、その踊りには必ずジェンダーが入る。このジェンダーの問題は、二人のダンサーが、師弟関係のなかで異なる身体の動きをどう模倣するかへの、新たな問いを投げかけていた。

本テクストは各セッションの内容を要約し、重要な発言は抜粋した。セッションは全て動画で公開されているため、必要な場合は適宜参照されたい。

◯動画
第三部 ピチェ・クランチェン、中島那奈子(ダンスドラマトゥルク)「ラーマ王の未来への旅路」
https://vimeo.com/661581957/4830ce8434

ピチェ・クランチェン(振付家/ダンサー、タイ)

リム・ハウニェン(アジアン・ドラマトゥルク・ネットワーク 設立者/パフォーマンス作家/ドラマトゥルク/ダンス研究者、マレーシア/オーストラリア)

タン・フクエン(ドラマトゥルク/プロデューサー/キュレーター/台北芸術祭芸術監督、シンガポール/台湾)

シェーン・ブンナグ(ヴィジュアル・アーティスト/映画作家/ライター、タイ)

中島那奈子(ダンスドラマトゥルク/ダンス研究者、日本)

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