立会人、対話パートナー、編集者としてのドラマトゥルク

ギー・クールズ

ダンスドラマトゥルギーに関する文献は全般的に最近かなり増えているが、ドラマトゥルクの創作プロセスにおける実質的な仕事を説明する文献は未だほとんどない。ドラマトゥルクの仕事には(沈黙の)立会人、対話パートナー、そして編集者という3つの不可欠な役割があると考える。

ソマティック(心身の統合的)な立会人としてのダンスドラマトゥルク

アン・クーパー・オルブライト(Ann Cooper Albright)は、著書『違いを振り付ける:現代舞踊の身体とアイデンティティ』(1997)の序文で、アラン・プラテルの公演『La Tristeza Complice』の鑑賞体験が、彼女にとって観るという行為を立ち会うという行為に変えたと次の通り説明している。「何かに立ち会うということは、応答すること、すなわち演者に対する観者の応答/能力を意味する。〔…〕 ここでいう立ち会うというのは、よりインタラクティブなある種の(全身を駆使した)認識行為であり、それは相互的な対話プロセスにコミットする 1。」。

立会人の役割を、創作プロセスの可能な限り早い段階で稽古場に持ち込むことで、ドラマトゥルクとして最大の貢献をもたらすことができる。沈黙でありながら感じ取ることのできる存在として、振付家と演者間の対話にソマティックかつエネルギー的な影響を提供することができる。私にとって立会人の役割は、ドラマトゥルクの仕事のなかでも欠かせない創造的な部分である。〔創作〕プロセスにたいして接近したり、あるいは距離をとるという駆け引きを直観的に行うことで、立会人の役割に微細な変化をもたせ、演者と振付家間の稽古場での相互作用に影響を与える。リハーサルプロセスの初期段階においては、物理的に参加し、自らの身体を通じて体験型リサーチを行うことに努めている。その後の段階では、〔創作〕プロセスから絶えず去っては再び参入して、自分の存在感または不在感によって共有スペースとわれわれの「関係性」にエネルギーの転換をもたらし、それによって〔創作〕プロセスに微妙な影響を与えようとする。

対話的実践としてのダンスドラマトゥルギー

ドラマトゥルクとしての私の仕事は、稽古場の中と外の両方で同様に展開する。稽古場の中では立会人の役割が主となるのに対し、外では振付家と定期的に話し合い、稽古で起こっていることについて話し合っていく。その会話は、創作アイディアが芽生えた時点で可能な限り早い段階で行うのが理想的であり、リハーサルプロセスが進むにつれて色濃くなっていく。この話し合いでは、すでに作られた素材にはさほど重点を置かず、プロセスの発展に必要なことに焦点を当てていく。例えば、このコミュニケーションが演者と行われる場合には、どのようなインプットが必要とされるか、どのようにリハーサルの時間をもっともよい形で計画し、整理していくのか、素材を作り上げながら、並行して素材を整理する方法をどのように考え始めるのかなどが挙げられる。

その会話はいわゆるフィードバックとは大きく異なり、はるかに制限がなく自由で目的意識を持たない。フィードバックとして唯一役に立つことがあるとしたら、共に歩み始めた道のりの再確認のために、過去のアイディアや会話に振り返らせてあげることである。個人的には創造プロセスのなかで「もともとのアイディアが常に正しい」ということを大いに信じている。そのため振付家に、作品の生命線となる最も肝心な原点に立ち返ってもらうためのみにフィードバックを提供することが多々ある。

編集者としてのダンスドラマトゥルク

初めてマイケル・オンダーチェ(Michael Ondaatje)の『映画もまた編集である―ウォルター・マーチとの対話 2』(2002)を読んだとき、制作におけるドラマトゥルクとしての自身の役割が、映画編集者と重なることを認識した。自分が実践するオープン・ドラマトゥルクの形では、リハーサル現場で編集プロセスが起こり、素材が自らどのようにつなぎ合わされれば最適かを示す。多くの場合、注意を手向けて、瞬間を認識し、行動するだけのことである。

編集プロセスで主に求める効果は、観客の関心を保つことにある。神経科学の研究によると、関心を保つこととは、常に認識と驚きを組み合わせることの作用であることが示されている。認識しすぎると、退屈につながる。また驚きが大きすぎると、観客はあなたの世界観につながりを見出すことができず、入り込む余地がなくなる。両要素の独特なバランスが必要となる。

編集プロセスでは、作品のリズムを整えていくことになる。ダンス作品の編集プロセスをサポートするとき、私はセクション間のトランジション(移行)に集中している。〔観客の〕関心を保つリズムを実現するには、それぞれのトランジションを独特な形で解決していかなければならない。拍の合間の間にこそ、リズムの独特な性質が定められる。舞台芸術は主に視覚と聴覚の二つの感覚を扱う。視覚的なリズムと聴覚的なリズムは、互いに影響しあい、接続する個別のトラックとなる。聴覚的リズムは、常に視覚的リズムよりも強くなる。この二つの関係性が極めて重要となる。音楽は視覚的効果を高めることもあるが、損なうこともある。

最後に、観客がどこに注目するかを導くことも必要である。舞台ではそれぞれの身体が注目を集める。編集プロセスでは様々な注目点を明確化して、組み立てる方法があり、観客にはついてきてもらうか、あるいはそれぞれ自由に定めていいのだと気づいてもらうことになる。

結論:創造的でソマティックな実践としてのドラマトゥルク

ダンスドラマトゥルクは、専門分野としての歴史は比較的浅いが、主に知の理論的で、論理的な部分と関連づけられてきた。要するにダンスドラマトゥルクとは、「外からの目線」なのだ。それは一定の距離感をもって全体像を眺めつづけ、アーティストである作家と実働者らが体現する実践に意味と一貫性をもたらす。しかし、コンテンポラリー・ドラマトゥルクの実践においては、この二分性が曖昧になる。ドラマトゥルクと振付家の間の創造的な「友情」は、距離と同時に近距離性と親密性を前提とする。立会人の役割においてすでにして、「外部の目線」が「外部の身体性」となって、創造的プロセスのなかで様々な距離感のあそびを講じることによって、ソマティックでエネルギー的な影響をもたらす。従来の対話パートナーとしての聞き役の役割や、リズム形成の手助けをする編集者としても、ドラマトゥルクは全身体をもって関わるのである。


1 Ann Cooper Albright, Choreographing Difference: the Body and Identity in Contemporary Dance, Wesleyan University Press: University press of New England, 1997, p.xxii.

2 Michael Ondaatje, The conversations : Walter Murch and the art of editing film, Bloomsbury Publishing, 2008. /マイケル・オンダーチェ『映画もまた編集である : ウォルター・マーチとの対話』吉田俊太郎訳、みすず書房、2011年。

本ウェブサイトへの寄稿:Guy Cools, The dramaturg as witness, dialogue partner and editor, 2021.

翻訳:辻井美穂

ギー・クールズ

ベルギー出身、ウィーン在住のダンスドラマトゥルク。ダンス批評家。ダンスキュレーター。ドラマトゥルクとしてシディ・ラルビ・シェルカウイ(Sidi Larbi Cherkaoui、ベルギー)やアクラム・カーン(Akram Khan、英国)他の制作を手がけてきた。ウィーンの「Biennale Dance College」や「Impulstanz」アトラス・プログラムのドラマトゥルギーのメンター。欧州・カナダ各地の大学や芸術大学で講師を務める。近著に『The Ethics of Art』(共編、2014)、『In-between Dance Cultures』(2015)、『Imaginative Bodies』(2016)、『The Choreopolitics of Alain Platel 』(共編、2019)、『Performing Mourning. Laments in Contemporary Art』(2021)。

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