ピチェ・クランチェンと3人のドラマトゥルク

「横浜国際舞台芸術ミーティング2021(YPAM2021)」で連続トークセッション「ピチェ・クランチェンと三人のドラマトゥルク」が開かれた。企画者の中島那奈子より、タイの伝統舞踊コーンを現代化する試みで知られ、アジアの舞台芸術を代表する一人であるピチェ・クランチェンのこれまで、そしてこれからの作品と協働するドラマトゥルクと、議論の多いダンス・ドラマトゥルギーについて考えるとともに、アジアでのアジアからの文化をめぐる政治を明らかにするという企画趣旨が説明された。この企画では、ピチェと協働した三人のドラマトゥルクがそれぞれセッションに登壇し、ピチェの作品がアジアに与えた影響が検証された。セッションは以下のような構成である。

本テクストは各セッションの内容を要約し、重要な発言は抜粋した。セッションは全て動画で公開されているため、必要な場合は適宜参照されたい。

第一部 「振付のドラマトゥルギーの編成」

映像1 《タンガイ》(2013-2014年)
シンガポールのパフォーミング・アーツを学ぶ学生のワークショップのために作った作品について

このワークショップに参加した学生たちは、バレエやアジアの伝統舞踊のトレーニングを積み、それらの「型(form)」を身につけていた。一般にダンサーは日常的になんらかの型やルールをトレーニングし、伝統舞踊の枠組みを身体的に修得している。一方でピチェが《タンガイ》で試みたことは、身体を解放し、身体に染み付いた型やルールを超えて、自由な表現を奨励することである。

タイの伝統舞踊コーンには非常に厳格な型がある。ピチェ自身、このコーンの形式的な型を16歳から身につけているが、彼の作品はコンテンポラリー・ダンスとして知られ、即興が多く見られる。ただしピチェの即興は完全な解放ではない。《タンガイ》をみて、ハウニェンはドゥルーズの「継続的創造性(continuous creativity)」の概念を想起した。この概念は、創造性というのはある型やアイデアからきている、そしてこのアイデアは無限に発展し、拡大するというものである。この型は変わらないが、そこから出てくる創造的な表現は大きく異なっていてよい。この「継続的創造性」を、ハウニェンはピチェの様々なプロジェクトに見出している。というのも、ピチェはコーンという厳格な伝統的な枠組みから出発し、それをさらに発展させて、様々な形を作り出してきたからである。

一つの固定された形式から様々な形式を生み出す方法について、ピチェは以下のようにコメントする。

ピチェ「東南アジアの伝統的な舞踊を研究するときに重要なことは、文化について問うこと自体タブーであるということです。信じること、信じないこと、これにわたしは非常な関心を抱いています。わたしは信じているが、信じていないのです。〔タブーであるにもかかわらず〕問うことは、〔伝統的舞踊を教える〕師匠の手ほどきを受けた最初の日からありました。わたしの制作する作品の形、スタイルは様々ですが、それらは問いから生まれます。わたしは自分自身に問いかけます、身体、ダンサー、社会文化にも問いかけます。その中から創出されるのです。」

この発言を受けてハウニェンはマリアンヌ・ファン・ケルクホーフェン(Marianne van Kerkhoven)というドラマトゥルクの「メジャーなドラマトゥルギー」と「マイナーなドラマトゥルギー」という理論に言及する。この理論に従えば、ピチェの自分や身体、ダンスへの問いかけは、マイナーなドラマトゥルギーにあたる。一方でメジャーなドラマトゥルギーとは、文化や社会について問うことである。

ハウニェンはピチェに新しいプロジェクトに取り掛かるときのプロセスについて質問する。これについてピチェは、あらゆるものが創造の出発点となると返答しながら、とくに1)トピック、2)新しい知識、3)振付を挙げる。ハウニェンは「新しい知識」についてさらなる説明を求める。

ピチェ「振付家としての立場に立つと、自分のスタイルがあり、作り上げてきた身体的な言語があります。そこで作品を作りましょうと向き合ったとき、そのテクニックが楽しかったり、そういうプロセスがあるのですが、それが終わったとき、すぐにわたしとしては次の形式に移りたい。また次の新しい形、形式、言語に移りたいという欲求が生まれます。若い世代のダンサーと仕事をすると、彼らには彼らなりの演技やコミュニケーションの仕方があることに気がつきます。それら全てが新しい知識です。自分のカンパニーを継続していく上で、若い世代のダンサーとつながっていきたいのであれば、新しい身体のあり方を理解する必要がありますし、若い世代から学ぶ必要があります。たとえば《ブラック&ホワイト》という作品を作ったとき、わたしを理解して連帯してくれた観客は40代でした。《タンガイ》ではもっと若い人たちが入ってきてくれました。」

映像2 《ブラック&ホワイト》(2013年)について

この作品はピチェが伝統舞踊からコンテンポラリー・ダンスに移行したランドマーク的作品である。ピチェによれば、伝統的なコーンでは、身体があり人格があり、全てのダンサーが衣装をつけ、振付は師匠のみが行う。しかし《ブラック&ホワイト》では、衣装を取り払い、振付も共同で行う。また、伝統的なコーンの主題は大半ラーマーヤナに関係するが、ピチェの場合、ダンサーに自分自身について語るように求めるので、ダンサーはしばしば自分自身について考えるということに直面し、頭を悩ませた。

《ブラック&ホワイト》にもドラマトゥルクとしてかかわったハウニェンは、コーンのトレーニングを積んだダンサーたちが、常に話し合い、協働している現場に立ち合い、振付の構造がダンサーから生み出される瞬間を目撃した。それはまずピチェ自身がコーンの伝統的な舞踊形態をしっかりと把握していたからこそ起こったことであり、ピチェは伝統を解体して分解し、さらに再構築して新しい型を生み出したのである。実際《ブラック&ホワイト》のリハーサルはコーンのエクササイズから始まり、午後、時には夜にかけて新しいアイデアを出して、それを実験することで作品が作られていった。ダンサーたちももちろんコーンの基礎をしっかりと体得していたが、同時に創作過程で出てきたアイデアを実現することで、伝統を乗り越える力も持っていた。これらのピチェとダンサーたちの力が組み合わさり、《ブラック&ホワイト》が創作された。

ピチェがハウニェンと出会ったのも、ダンスドラマトゥルクと仕事をしたのもこの《ブラック&ホワイト》が初めてだった。ピチェはハウニェンにバンコクのコーンをよく見るように求め、これによりハウニェンはピチェのコーンを解体して、新しい振付を構築していくスタイルを学ぶことができた。ピチェはハウニェンと仕事をしながら、戸惑いも感じていた。ピチェはそのときの体験を以下のように語る。

ピチェ「わたしにとってドラマトゥルクと制作するのは初めての体験でしたので、非常に心地悪かったです。何を考えているのかも明確ではなかったし、ただ観察をされている。そしてドラマトゥルクという人は、自分の味方なのか、あちらの味方なのかわからなかった。わたしに投げかけられる質問に怒りを感じることさえあった。ただそれは制作する上でとても重要で、観客について考える機会になりました。」

ピチェのドラマトゥルギーの変化

ドラマトゥルクとして長年活動をしてきたハウニェンは、振付家が作品を作り上げるときには、目に見えない作業が多いことを強調する。さらに、ドラマトゥルクの役割はプロジェクトごとに異なり、リサーチャー、問いかける人、仲介する人、様々であるが、大事なのは、制作に関する知識を持ち、それを本番寸前まで保つ必要がある。

ハウニェンからみて、ピチェの振付は変化してきている。伝統的なコーンがあり、そこから《ブラック&ホワイト》が作られ、《Dancing with Death》など様々な作品に展開しながら、振付や身体的な言語もかなり変わってきた。1800年代、1900年代の身体を扱っているコーンは、現在の身体性とは非常に異なるが、ピチェは、このコーンを基盤として自身の身体性を拡大してきた。このプロセスの中で認められる変化は、ピチェが同時代の文化、社会、身体への思索を続け、さらにコンテンポラリー・ダンスにおける自分自身のスタイルへの確信を深めたことによって起こった。

例を挙げれば、《Dancing with Death》では、コーンの身体的な型はそれほど見えてこないが、巡回するようなエネルギーが身体の内側にあり、そこから様々な型や形が生まれてきている。ピチェはこれについて以下のようにコメントした。

ピチェ「よく伝統と現代というのが全く別のものであるかのように話されるのですが、わたしはそのようには思っていません。というのも、コンテンポラリーのなかにも、伝統の概念があると思います。それは身体的なテクニックにも現れてきて、伝統の中にもコンテンポラリーの概念、現代の知識、テクニックがある。それを用いて、新しい身体的な言語を作っていくということが可能だと思います。簡単な例を挙げますと、木のようなものではないかと思います。木が成長すると新しいものが生まれていく。ただしその根っこの部分は変わりません。」

ダンスドラマトゥルクの役割の変化

《ブラック&ホワイト》と《Dancing with Death》を比較して、ハウニェンのドラマトゥルクとしての役割に変化があったかという問いに対し、ハウニェンはほぼ変わらないと答えつつ、ただしピチェが、プロフェッショナルな次元においても、社会的な次元においても、様々な変化を遂げてきたとも付け加える。ピチェは、《ブラック&ホワイト》ではドラマトゥルクとの関わり方にとまどっていたが、その後アーティストとして飛躍的な成長を遂げ、《Dancing with Death》では自分が何をしたいのか、ドラマトゥルクであるハウニェン含め、ダンサーやデザイナーなどに非常に明確に伝えるようになっていた。ハウニェンは、知的な振付家と仕事をするというのは素晴らしいことであり、明確なコミュニケーションがあるからこそ、ドラマトゥルクとして、振付家が成し遂げたいことを一緒に担っていけると発言した。

◯動画
第一部 ピチェ・クランチェン、リム・ハウニェン(ダンスドラマトゥルク)「振付のドラマトゥルギーの編成」
https://vimeo.com/661580221/9ae402fc86

ピチェ・クランチェン(振付家/ダンサー、タイ)

リム・ハウニェン(アジアン・ドラマトゥルク・ネットワーク 設立者/パフォーマンス作家/ドラマトゥルク/ダンス研究者、マレーシア/オーストラリア)

タン・フクエン(ドラマトゥルク/プロデューサー/キュレーター/台北芸術祭芸術監督、シンガポール/台湾)

シェーン・ブンナグ(ヴィジュアル・アーティスト/映画作家/ライター、タイ)

中島那奈子(ダンスドラマトゥルク/ダンス研究者、日本)

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