呼び起こすひと-きたまり作品をみるためのよすがに-
木ノ下裕一
みなさんは、普段、“ダンス”と呼ばれるものにどれくらい親しんでおられるでしょうか。
クラシックバレエを見るのが好きな方、日本舞踊を習ってらっしゃる方、若い頃、ディスコに興じたことがあったわ、という方、年に一度の盆踊りくらいですかねぇ、という方……、その濃淡は人それぞれかと思います。中には、幼稚園や小学校の学芸会以来、ダンスらしきものに触れずにきたという方も少なくはないのかもしれません。
人類がいつ頃から踊るようになったのか……それは、誰にもわかりません。我が国では、アメノウズメという神様が岩戸隠れしたアマテラスをおびき寄せるために踊りを披露したという、『古事記』などに出てくる神話がその起源として有名ですが、当然、実際はもっと古くから、誰もが踊っていたと思われます。人間が「言語」というものを発明するうんと前から、踊りというものが存在し、鳥や動物が求愛のダンスをするように、踊りを通して、コミュニケーションをとり、大きな獲物が取れれば神に感謝し踊り、豊作を祈ってはまた踊り、人が死ねば悲しみに暮れつつ踊っていたのだろうと想像します。現代でも、思いがけず嬉しいことがあった時、「小躍りする」なんていいますが、私たちは、嬉しさを言葉にする前に反射的に身体が動いてしまったり、言葉にできない感情、もしくは言葉では十分に伝達できないような感情が芽生えた時にボディーランゲージで伝えようとします。これは、日常生活におけるダンスとの関わりの度合いにかかわらず、未だ私たちの遺伝子の中には、“ダンスの種”が眠っている証拠なのかもしれません。
きたまりさんのダンス作品は、その観客一人ひとりが無自覚に持っている“ダンスの種”を呼び起こそうとしてくれます。
嵯峨大念佛狂言について
聴き手:きたまり、木ノ下裕一、武田力、中智紀、山﨑佳奈子
人間は古くから太陽や山といった自然物に祈りの作法を求めてきました。『あたご』は愛宕山を題材に、いまなお続くわたしたちの、そうした多様な祈りを扱った新作舞踊です。その創作においては、愛宕山の裾野・清凉寺境内で継承されてきた嵯峨大念佛狂言(通称・嵯峨狂言)からも影響を受けてきました。上演では舞に合わせ、嵯峨大念佛狂言の鉦かねと太鼓、笛を披露いただきます。その鉦と太鼓の叩き手・加納敬二さんに「大念佛狂言のイロハ」からお訊きします。
(略)
-いまの社会の価値観として「伝統とは変えてはいけないもの」と捉えている方も多いように思えます。
加納: でも、歌舞伎もいまどんどん変わっているでしょう? 嵯峨狂言も基本を残しながら、プラスアルファで変えていってくれたら。観る人がいてはじめて我々があるので、そこに意識を配りながら。観客がなにを求めているのかを我々も勉強しなければならない。そうしてサポーターを増やしていく。でもプロ化はしたくない、お金は取りたくない。
-舞踏にも造詣の深い加納さん。以前に鑑賞された舞踏公演での体験から「得体の知れない他者を招く」行為は、狂言にも共通すると言います。新作舞踊である『あたご』もいわば「得体の知れないなにか」かもしれません。そうした「他者を招く」コラボレーションとは、伝統芸能にとってどのような意味を持つのでしょうか。
加納: 狂言は平清盛とか、すでに死んでいる英雄を扱う以上、その死者をあの世から降ろさなければならない。嵯峨狂言の舞台は「あの世」。この世の世界ではないから観客は舞台を見上げる。たとえば帯の結びも逆、前で結ばれていますよね。つまりは逆の世界。衣装も奉納された亡くなった方の遺品で、すべてに名前が書かれてあります。狂言の舞台は供養としての意味合いを帯びています。
-みんな死んだ人が演じているということですね。時には自分が知っている故人の着物を着て演じると。
加納: だから面の下に布を被って肌を見せない。人間としての部分を隠し、人間ではない「なにか」を演じる。見えているのは手だけ。出ている部分としては手でしか演技できない。あとは面がやってくれる。身振り手振りというのはそういうこと。憑依するというのか。極端な話、壬生狂言さんの演技は人というよりは人形がやっている感じ。人間ではない「なにか」になる。
以下の文献より抜粋:
舞踊『あたご』公演当日パンフレット(演出・振付きたまり、ドラマトゥルク木ノ下裕一、武田力、地域ドラマトゥルク中智紀)2019年、6頁、8−10頁。