『そこに立つ』稽古場観察記 -ひとごととわたしのあいだ-
朴 建雄
電車の中で揺れる身体
満員電車の中で人が動く場面らしい。動きをリアルにするため、山下さんから指示がある。人をかき分けるアクションをするのではなく、関節を固めて進む方が確かに身体がリアルに見える。なるほど。ここからは個人的な感想。固まっている人たちは、なんとなく全体としての身体の動きを共有してはいるが、そこで体幹から動くとわざとらしく見える。電車内で揺れるという動きはあくまでも電車という環境の力とそれに拮抗して静止しようとする身体の力の拮抗から生まれるからだ。
(略)
続いて別のシーン。電車の中で立って話す人たち。
ここでは、電車の中での身体の揺れに焦点が当てられた。通常で10%の揺れ、そこに20%の揺れを何回か入れるという実験をしてみる。何回も入れると、どうしても意思を持って揺れている(実際そうなのだろうが)ように見えてしまう。20%のタイミングを固定してみる。今度は全員の動きが揃いすぎて、よくない意味でコントっぽくなってしまう。なかなか難しい。
会話についても、山下さんから調整がある。このひとはちょっとおびえているから声を少し落として身体がちょっと緊張する、このひとは終始緊張なし、このひとは話に熱が入ってきたら主張の激しいところで筋肉を固めて力を入れる。なるほどそれらしくなってきた。ちなみに後ろに座っている人の肩の揺れが気になるんだけどと言ってみると、座ってる人も割と揺れてるんですよと山下さんが言う。そうか、じゃあ明日の朝、通勤電車で確かめてみよう。他に思ったこと。電車の中でしゃべるときってどれくらいの音量で人は話すのだろう?稽古で俳優の音量は割と大きかったが、そういえばそんなに周りを気にしていない気がする。そして稽古でもその間のフィードバックでも俳優はずっとスマホをいじっていて、そのどちらの動きもリアルに見えた。演技と現実が連続して見えて面白い。この場合、何が違って何が同じなのだろうか。
最後はダンスのシーンの稽古。ここも満員電車の中の動きで作っていく。
まず4人ひとかたまりで、揺れの大きさを10%から100%まで試す。続いて人ごとに違った%で動いてみる。それぞれ好きなタイミングで大きな揺れを入れてみる。動きの要素として、力、早さ、重さがあると山下さんは説明し、俳優の身体におけるその三つを調整していく。二人一組になって、互いに押し合う。向かい合って相手の動きを真似てみる。1人の動きを3人で真似るとなんだかアレな自己啓発セミナーみたいだ。横一列に並んで横の動きを真似てみると、ウェーブになる。押し合う動きよりも、真似しあう動きの方がそれぞれの身体の違いが明確になっていた。関節の角度や緩み方が特にわかりやすく違う。この二つの動きをいかに混ぜるかがこのダンスの肝なのだろうか。今日の稽古はこれで終わり。
(略)
あくる日の朝、通勤中の自分と他の通勤客の身体の状態がどうなっているのか、感覚を集中してみた。思ったより身体の揺れのタイミングはバラバラ。電車の中で人間の身体が揺れるのは、電車の動きに影響されるから。動きについて分析してみると、次の三つの要素があるようだ。
- 進行方向(停車と発進を繰り返し、つど速度が変わる。そのとき、慣性の法則で身体が揺れる)
- 左右(車体の傾きに伴って体も傾く)
- 上下(レールが切れる部分?で車体も身体も細かく揺れる。ガタンゴトンと鳴る原因、たぶん)
周りを見てみる。どうも、手に人の個性が出ている。ほとんどの人はスマホを覗き込んでいて、読書派となんにもしない派が数人。吊り革を掴む手の位置が割と人によって違う。以下、数の多い順にグループ分けしてみた。
- わっかの下を握る派(最大派閥。私はここに属します)
- わっかの上を握る派(思ったより結構いる)
- わっかじゃなくてその上のバーをつかむ派(掴む吊り革がないとこうなる。自分もたまにやる)
- わっかに手首通す派(自分にない発想だったが、よく見るとちょくちょくいる)
以下の文献より抜粋:
朴建雄「『そこに立つ 1』稽古場観察記 -ひとごととわたしのあいだ-」(2018)ひとごと「そこに立つ」(作・演出山下恵美)https://note.com/hitogoto_maru/n/n3a46b5366d0d?magazine_key=m737c3dc068ed